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女性医師たちの歩み

女医として、今までを振り返って

内藤 恵子

私は、中高女子校から、東京女子医大に進学しました。1、2年生は無医地区研究会、3年からESS,JIMSA(日本国際医学ESS),スキー部と、充実した大学生活を送りました。

卒業後、奈良県立医科大学小児科に入局しました。血液、特に血友病が専門で、広範囲から患者さんが集まりました。患児の血液検査は、検査室に出さず、自分で顕微鏡を見て、結果を、教授回診に間に合わせるのでいつも忙しくしていました。

そのころは、患者がする血友病製剤もなく、病院で点滴して、出血を止めていました。当直のとき、ITP(特発性血小板減少性紫斑病)の患者さんが来ると、血小板浮遊液を、遠心分離機で作り、点滴しないと止血できません。でも、自分で検査し、判断していくという基礎を作っていただきました。

その後、出産し、育児と小児科医の両立は大変だと考え、大阪赤十字病院の眼科研修医からやり直しました。大学病院と違い、赤十字病院はいろいろな疾病が集まってきます。めずらしい病気にも、よく出くわしました。涙小管結石を病理検査に出し、放線菌症を見つけ、症例報告しました。

その後、開業し、週1回日赤で診察、週1回関西医科大学第2病理学教室に通いました。教授に、8年で論文を仕上げる約束で、その年ドイツ語、英語の語学試験をうけ、学位を頂きました。眼科専門医の更新単位取得も大変ですが、去年1年間頑張って、産業医資格を取りました。

関西医大研修医終了後、眼科関西漢方研究会に参加し、盛岡の臨床眼科学会で症例報告させていただきました。ボランティア活動として、ネパールの子どもを育てる会の理事をしています。ネパールのインド国境チトワンで3回診療事業に参加しました。わたしは、医師を自分の天職だと考え、仕事をできる喜びと、いろいろな事にチャレンジできる気力を持ち続けたいと思っています。

2009-2013 Osaka Medical Women’s Association.