女性医師たちの歩み
前田 慶子
この世に生を受けてから82年 医師になって60年 思い返せば長い歳月でも余りの動乱続きの世の流れに飲み込まれ、押し流され揉みくちゃに過ごした一生のような気がする。
子供の頃はよく遊んでばかりいたように思う。医師を志したのはやはり戦争のせい、いや、お陰かもしれない。当時は、医学部以外は勉強をさせてもらえなかった。男は戦場、女は挺身隊(ていしんたい)と 、とにかく動ける者は誰でも戦わなければならなかった時代だった。そんなときに曲がりなりにも学問をさせてもらったことは、幸せだったとしか思いようが無い。
そして戦前戦後の混乱期、まず食べるもの住むところに日本中が大変大変、引揚者の受け入れ、ついで第一次ベビーブーム、小さくなったこの島国に一億を越す人間が寿司詰めとなり、今の少子高齢化の時代からは考えられないことばかり。東京国際裁判、サンフランシスコでの講和会議を経て焦土より不死鳥のごとく甦り、復活、復興の産声は山野に満ち満ちて、東京オリンピック、大阪万博、空を飛ぶことさえ許されなかった日本人が今や宇宙ステーションの建設並びに長期の滞在に参加できるようになったとは、一体誰のお陰なのか、胸に手を置いてじっくり考えてみることが余りにもすくないのではないだろうか。世界一になって金メダルを手にすればみんな晴れ晴れとした笑顔で誇らしげに天を仰いでみるだろう。
それなのに自慢この上無い長寿をもたらした医療の世界が何故糾弾の対象になり、まるで悪事を働いているかのような記事が巷に多いのか。私が人生の約4分の3をかけて尽くしてきた医療の世界が何故このような疑惑の目でみられ不信感の渦の中にあるのか。本当に情けないし悲しい。それでも私は悔いなく医師でありつづけた。私の目のおくには、幼かった頃、雨風の中凍てつく夜、カンカン照りの中何時も笑みを浮かべ患者さんの枕元に駆けつけていた父の背中が、又勤務していた病院で連日連夜の入院患者の手術介護に心身をすり減らして悔いることがなかった多くの先輩方〔其の中には吾が夫も〕の姿が焼きついているからである。
長かった医師としての人生もそろそろ幕引きの区切りが見えてきたようだ。父、恩師の教えを守り周囲の人びとに元気と希望をあたえ続けてこれた何十年、後もう少し頑張ってゆきたいと願っている。