一般社団法人 大阪府女医会 トップページへ

女性医師たちの歩み

「仕事は一生」人との出会いという宝物に支えられて

杉本 睦子

私は山形の出身で東京女子医大での学生時代と慈恵医大での2年間の研修医時代を東京で過ごしその後主人の故郷大阪で暮らすことになった。一人の知人とてなく、大学院を終了したら東京に帰るという約束を信じて早く東京に帰りたい!とそればかり考えていた。結局は空手形だったがたくさんの素晴らしい方達と巡り会い今ではすっかり大阪が大好きになっている。

今まで本当にたくさんの方々にお世話になった。中でも思い出すのは長男が足に怪我をして歩けず保育所を休まなければならなくなった時、困り果ててナースステーションで嘆いていたらナースの一人が「数日前に会社が倒産して家にいる娘にベビーシッターをさせよう」といってくれて2週間ほどお世話になり本当に助かった。

また迎えが間に合わないとき、保育所のパートの方が子供達を自分の家につれて帰って私が帰るまで預かって下さったことが何度もあった。子供に食べさせ、私にまでお土産に頂いた熱々のお好み焼きや肉まんは何となく情けなく泣きたいほど淋しかった私の心までもを温かくしてくれたことが忘れられない。

子供が病気になったときが一番困り、当時お名前だけ存じ上げていた「保坂先生の病児保育所が近くにあれば」と何度思ったか知れない。親が近ければすぐに飛んできてくれるだろうにとも思ったが、不思議なことに「地獄で仏」の言葉通り困った時には必ず助けて下さる方が現れた。

3人の子供を育てながら今日までやってこられたのは主人の協力は勿論、このようにして助けて下さった沢山の方たちのお陰といつも感謝の念でいっぱいである。この何物にも変えがたい宝物を一生大事にしていきたいと思う。

また、「子供を預けてまで仕事をしなくても」という言葉をよく耳にした。でも一度も仕事をやめようと思ったことはない。一日中一緒にいられなくても親子の接触の密度が濃ければきっと子供はわかってくれると信じていた私が心がけたことは2つだけ。「食事は絶対他人任せにせず自分で作る」「一日一回はぎゅーっと抱きしめ本の読み聞かせを毎晩続ける」今晩はどの本をどれだけ読むかの親子の駆け引きがとっても楽しかった。悩んでいたときに言って下さった先輩の言葉「結婚はチャンス、仕事は一生」をいつも心に刻んで曲がりなりにも何とか頑張って来れたと思う。

若い女性医師には子育てなどのため一時パートになることがあったとしても仕事はずっと継続して欲しいと思う。後顧の憂いなく仕事に没頭するためには安心して子供を預かってくれる場所が絶対必要である。能力のある若い人たちがギブアップしてしまわないように力を尽くすことが女医会に課せられた仕事の一つと思っている。

行政の難しい縛りもあり大変とは思うが、すでに実現している都市もあるようだが例えば集団生活が出来ない軽い病気の時などは地域のまだまだ元気な「おばちゃんたち」に子供を託すなど発想の転換をして斬新な方法を考え実現できるように頑張っていきたい。

2009-2013 Osaka Medical Women’s Association.