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女性医師たちの歩み

40歳からは社会のために

福本 敏子

私は昭和50年に大阪医科大学を卒業し、以来、眼科医師として 臨床に携わり35年が経過いたしました。卒業した秋に結婚し、翌年には長男が誕生し、そして5年後には長女と、仕事、家事、育児と無我夢中の35年でした。私たちの年代では、まだ女性の社会進出も今とは隔世の感がありました。高校は共学の進学校でしたが、女性は短大へ進む人もあり、大学でも女子大学へ進む人が多い時代でしたので、私が医学部へ行きたいと言った時には、両親も私は一生、独身でいくだろうと思ったそうです。親の予想に反して、同級生の内科医と結婚しましたが、私が医師を続けることができたのは、ひとえに主人の理解と協力のおかげと感謝しています。妻としても、母としても中途半端でしたが、二人の子供たちも医師となり、また同業の伴侶をみつけてくれましたことで、少し肩の荷を下ろすことができました。

私は、『20歳までは自分のために。30歳からは家族のために。40歳からは社会のために。』をモットーとしています。そのため、子供たちが大学へ入ってからはできるだけ社会貢献という事を考えてきました。まず、母校の大阪医大眼科学教室の女医会『くれない会』を立ち上げました。『くれない会』は今年で16年を迎えます。年に一回、開催し同窓の女性医師の絆を強めています。また、国際的なボランティア団体である『ゾンタクラブ』に所属し世界の女性の地位向上に努めています。医療の分野では『大阪府眼科医会』『阿倍野区医師会』『大阪府女医会』の会務に協力させていただいています。診療、家事をしながらの活動ですので、時々は、一日の時間が24時間では短すぎると感じることもありますが、諸先輩の先生がたの頑張りに刺激を受けながら何とかこなしている現状です。

微力ではありますが、自分がたどったような八方塞がりの閉塞感を後輩の女性医師の方々が感じなくてもいい環境作りのために協力させていただきたいと考えている今日この頃です。

2009-2013 Osaka Medical Women’s Association.