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女性医師たちの歩み

私の人生

辻本 公美子

母の父親は商社マンでしたが、医者になりたかったということで、母と叔父二人を医者に、叔母を薬剤師にしたいという希望をもっていました。母が今の関西医大の学生だった時に父親がなくなりましたので、母は帝国女子医専に転校して無事に卒業し、千葉大の医局に入りながら開業し、家族の面倒を見てもらえる人ということで、父と結婚し、弟二人をそれぞれ医者にしました。兄弟は皆それぞれ一人前にし、80代になるまで頑張っていました。父が死んだあと、妹と二人で関西に引っ越して来たのですが、あまりの環境の変化の為か、急激に認知症が進んでしまいました。

母は積極的に自分の人生を生きてきたと思いますが、私は小さい時から、医者になるように勧められて為か、反発して絶対にならないと思っていましたが、知識と経験とを身に付けたいけれど、他の職業が思いつかなかったので一応医者になっておくか、という軽い気持で医者になり、また、研修医教育が一番しっかりしていると言われていましたので一応小児科に入ってみるかというかなり消極的な人生を送って来ました。小児科に入るとそれなりに課題も多く頑張っていたのですが、仕事や研究に行き詰まり、迷いが出て来た時に結婚でもしようかと逃げたのが間違いで、実家が遠くて援助が受けられませんでしたし、家族の無理解があったため、ひたすら雑用だけで医師としての勉強も仕事も納得したものにはなりませんでした。子供が少し大きくなり強引に開業を始めましたが、10年のブランクは大きく、県立病院へ外来見学、部長回診に参加させてもらいはじめたのですが家族の無理解で続きませんでしたし、納得できる復帰研修の機会がなかったので納得できる医師としての仕事は出来ませんでした。

今60歳になってパートで内科小児科医院に勤務し、新しいことを勉強しながらキャリアアップとキャリア継続するための模索中です。

2009-2013 Osaka Medical Women’s Association.