女性医師たちの歩み
酒谷 省子
私は卒業して皮膚科を選んだのですが、結婚がだいたい決まっていたので時間的拘束の少ない科、簡単に言ってしまえば「楽な科」を選ぼうと思って、皮膚科を選んだのです。親も夫となる人もみんなこぞって皮膚科がいいと薦めていました。(皮膚科の先生にはなんと失礼なこと!!)父は産婦人科医でしたが、「女に産婦人科はムリである」との見解でした。たしかに科によって、体力的、時間的拘束の度合いは大きく違うことは間違いのないところです。
新婚で二人きりの時は二人のタイムスケジュールをある程度合わせさえすれば、問題はありませんでした。しかし、出産して育児となるとたった一人の子供でもそんな甘いものではありませんでした。子供はだれかに面倒をみてもらわないと出勤できません。子供はしょっちゅう病気になるし、当直勤務もありました。与えられた仕事が満足にこなせないなら徐々に仕事は減っていくことになります。そこに夫の留学の話が持ち上がり、仕事を辞めるか別居するかということになりました。私の胸の中にモヤモヤがどんどん溜まり、おそらく夫の中にもモヤモヤがどんどん溜まっていったのでしょう。なんやかんやで結局、離婚することに・・・。
卒業する時に思い描いていた状態とは全く違うことになり、でもふっきれたということでしょうか、大学医局で長く仕事をしていこうという気持ちになりました。医局の上司の先生方のおかげで専門医、学位と取得して医局で仕事を続け、医局長、講師にしていただき充実した勤務医生活を送ることができました。
しかし40才を過ぎた頃、医局の中で競争に勝ち残っていくには自分の能力不足を感じ、仕事が重荷になってきました。お世話になった教授の定年退職も近づいてきました。息子の受験があり、そちらに力を割いてやりたい気持ちもありました。父は開業医でしたが、早くに閉院していて継承すべき医院はなくなっていました。でも私は結局、開業しました。大学でもう少しやりたい気持ちは半分くらいありました。
それから10年。開業医としてとても充実した生活ができています。振り返ってみて、当然ですが皮膚科は「楽な科」などではありませんでした。迷いはたくさんありましたが、ずっと医師の仕事を続けてきてよかったということが全て!のように思います。