女性医師たちの歩み
山崎 章子
昭和55年に医師となり、ただ前を向いて走ってきました。今回、この原稿依頼があったことで、自分の医師としての年月を振り返り、今日まで身内はもちろんのこと、出逢った多くの人達に励まされ支えられ、又患者さんたちには病状を通していろいろ教えていただいたことを心より感謝する気持ちでいっぱいです。
父は、内科・小児科の開業医でした。訪問診療も多く抱え、夜中の往診も当たり前に対応する時代でした。医師とは、大変な仕事ではあるけれど、誠意を持って患者さんに対応することが、自分のやりがいになる職業だと考え、自らの将来の方向にあまり迷いませんでした。
「いつか後を継ぐ」ことは私の頭の片隅に有りましたが、昭和60年突然の父の死去により、死亡による廃院届の翌日が私の開業日となり今日に至ります。大学で研修2年後、近隣の病院に約2年間勤務し、医療環境や患者層の異なる両極端を経験しながら、今後しばらくは専門の知識や技術を学びたいと思った矢先のことでした。しかし、あまり迷わずに継承を決定した記憶が有ります。設備、患者さんもスタッフもそのままでの開業なので、負財産はなかったのが幸い。翌年に第一子が誕生し、実母とお手伝いさんに預けて診療。1階と3階なので何かあれば様子を見に上がれました。子供が4歳の時に2階を居宅にリフォームして家族で転居して、子供を連れての私の通勤はなくなりました。
開業が早くて、専門を持たずにいることは、長年モヤモヤ不消化感が続いていました。ある時夫にその不安を言ったところ『専門のないのが専門』といわれました。患者さんの、一番最初の相談窓口となる医療も私の役目なのだと考え、時を誤らずに他科の先生や精査の必要な症例を紹介することを地道にやっていこうと思い、今日に至っています。
父の継承医院とはいえ、自分の診療のスタイルをどう創るかを考え続けていました。頼りない私に、『女医さんだから話しやすい』と言って下さる女性の患者さんが年齢を問わず多いことに気づきました。娘の立場、嫁の立場、育児中の母の立場、妻の立場、仕事のある女性の立場、女性特有の年齢的な心身の変化など、女性患者さんと共感できるところがよかったと思います。ゆっくりとお話を聞き、問診の中から患者さんの困っておられる症状の隠れた病因に繋がることもあります。私は、女医であることは何よりも自院の特徴であり、傾聴するのが私のスタイルだと気づきました。これからもこのスタイルを大事にして、患者さんが良くなられるように努めたいと思います。
大阪府女医会の先輩先生方は、女医の少ない時代にたくましく勉強し、研究や臨床をこなして来られており、私はまだまだ甘いところが多く足下にも及びません。大阪府女医会ホームページの表題に『しなやかに 魅力的に!』とあるように、それぞれのおかれた環境で自らを最大に活躍できるようにしなやかに軌道修正しながら、常に努力しておられる先輩先生の力強さと柔軟さに励まされています。私は次の世代の女性医師が活動しやすく、社会貢献する意欲をもっと持ち続けられるようにお役に立てればと思います。
どんなに精神的に辛い時も、患者さんの前では平静心を必要とし余計なことを考えない。
『明日を思い煩わず、過去を忘れて、今日に生きよ』
今日の仕事を通して自分のした事に、一つ『良い事』があればまずは『よし』としましょう。
2019年10月